フランス

人によって様々だろうが、私はルーブル美術館が大好きだ。昔はモナリザの絵の前はガラガラでその上、すぐそばまで近寄れたのでじっくりと鑑賞出来た。ミロのビーナスも周りには人っ子一人いないのでじっくりと見て回れた。そんなミーハーな場所も好きだが歴史上の食にまつわった人物はいないか、当時の食材は何があったのか、当時食べられていただろ果物の絵や食材になるジビエの動物の絵、そんなものを探しにうろうろしている。

ドンペリを訪ねて

例のごとくパリからの列車の行き先を見ていて、「そうだ、ストラッスブールへ行こう」(頭の中ではJRのCMが)と、これから出発する列車に飛び乗って行ったのはいつの事だったか・・・・。ユーレルパスなので気にしないで乗ったが、ガイドブックをパラパラめくっていたらシャンパンの街ランスが載っていた。「そうだシャンパンを飲みに行こう」何という尻の軽さだ、ストラッスブールは以前にも行ったことがあるし、今回は途中駅のランスで降りてシャンパン通りを見てみようとさっさと予定変更した。エペルネやランスの街をくまなく散策、やっぱりモエエシャンドンは外せないだろうとまずは入り口の庭に「ペリニヨンの像」の前でヘー、これがドンペリニヨンかと眺めていたら旅行中の日本人が来ていま、モエエシャンドンの倉庫を見学して来たという、日本人スタッフが居て、親切に案内してくれたと言うので早速入場したらいま手があかないと言う事で仕方なく、フランス人スタッフの説明を聞いたが一緒に居たドイツ人とドイツ語で説明を聞いたがちょっと難しかったな・・・・

フランスの農業祭

農業国フランスでは毎年、大々的に農業祭がメッセ会場で開かれ牛や山羊、羊などが会場狭しとあちこちにいて、乳牛は乳絞り体験が出来、子供たちで賑わっていた。今回はチーズメッセの視察なので一角にあるチーズエリアに行くと有るわ有るわ、チーズばかり(当たり前だろうが)。夜はチーズ組合のガラディナーに出席。これにはビックリ、10m近いテーブルにフランス中のチーズが並び、食べ放題だが、ディナーの後でのデザートだからチーズ好きの私でもそんなには食べきれない、でも頑張って大皿山盛り位は平らげた。当時の私は年間30Kgくらい食べていたと思うが、多分フランス人以上の消費量だ。しかし、上には上がいる、一緒に行った日本人はチーズを生業にしている人で私以上の消費量だった。完敗・・・・

モンサンミッシェル近くの田舎町

モンサンミッシェルは一度は行って見たかった場所だが、列車で行くとポントルソンの町からもバスでモンサンミッシェルに行ける。興味本位でポルトソンの町を散策したら案の定なんも無い。写真のベストアングルを見つけようとしたがあまり何も見つけられず、ただ撮りまくってきたが日本に帰ってきてから改めて見直すと中々捨て難いものがあった・・・・・・、良し。

モンサンミッシェル

アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使・ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い信じなかった。再び同じ夢を見たが、また信じなかった。ついに3度目には大天使はしびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりである。
ノルマンディー地方南部・ブルターニュとの境に近いサン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られる。潮の満ち引きの差は15メートル以上ある。このため、湾の南東部に位置する修道院が築かれた岩でできた小島はかつては満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていた。
1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになった。しかし、これによって潮流をせき止めることとなり、100年間で2mもの砂が堆積してしまった。急速な陸地化が島の周囲で進行しており、島の間際まで潮がくることは滅多になくなりつつある。かつての姿を取り戻すべく2009年には地続きの道路が取り壊され、2010年には代替となる新たな橋がかけられることが計画されている。 なお、橋は現在建設中で2014年の完成を目指している。
世界遺産の厳島神社がある広島県廿日市市とは姉妹都市である。