
あちこち歩いていると、いろんな人物に出会った。電車に乗っていると隣に人が親しげに「お前は日本人か?」と興味深げに訪ねてくる人、住んでいる人間と間違えられ道を尋ねる外国人。酒場に入るとしつこく日本について聞きたがる人・・・「東京のような小さい街にあれだけの人がいて夜寝るときは重なって寝るのか」と冗談半分に聞いてきてビールをおごってくれる地元民。とにかく面白い、人間バンザイ!!
アントワネットのギロチンは日本が関わっている
アントワネット(オーストリア名アントニア)のギロチンは日本が関わっている、なんとセンセーショナルな題名なのでしょう。
フランス革命の露と消えたアントニアの運命は、母マリア=テレジアはある程度予感していたと思われるくらい頻繁にアントニアに手紙(現存)を出していました。
マリア=テレジアは16人もの子供を産み、アントニア(第9子)を非常に可愛がったそうです。政略結婚というべき後のルイ16世との結婚は、アントニア14歳のときでした。
当時の結婚で14歳というのは余りにも早すぎるということでもないようですが平均的に16~7歳のことを考えれば少し早かったのかと思われますが・・。日本でも二十歳前の結婚が普通で、過ぎると年増といわれ、30前には大年増といわれた時代です。
(今の22~3歳の女性に年増といったらセクハラで訴えられますね)
我がまま奔放に育ったアントニアは不安を抱えながらもフランスに嫁ぎます。フランスでは新しい皇太子妃を大歓迎しますが、アントニア自身は夫の包茎のために夫婦生活はうまくいかず、フランスを余り理解できない生活空間で唯一の楽しみは自分のためのパーティーで、気分を紛らわせることでした。
はじめの頃はアントニアに好意を寄せていた国民でしたが、度重なる政治不安や重税に喘でいる国民は毎日の贅沢な生活を送っているアントニアを影で罵るようになったのです。アントニアにすれば、毎日の不安を紛らわせるには、このような事しかなかったのかも知れませんが政治にまったく疎いというのも当時としてはどうなのでしょうか、政治は男の仕事と割り切っていた時代です。政治に口を出せば疎まれ、口を出さなければ出さないで無関心だと言われる時代だったのでしょう。
フランスでの大飢饉が国民の鬱憤を爆発させました。食料に事欠く毎日と取立てられる重税にとうとう国民の怒りが頂点に達しフランス革命へと発展していったのです。
そうして、ハプスブルグ家の星がまたひとつ消えました。
えっ、どこに日本が関わっているのかって?
1783年、日本の浅間山が大噴火しました。
山が燃えたといわれるほどの「浅間焼け」と呼ばれました。噴火した火山灰の粒子は天空に堆積し、ヨーロッパの太陽を遮断しました。日本の地理学者が発表した学説ですが「1788年のフランスの凶作は浅間山の噴火が原因」と発表しました。フランス革命の原因は旧制度の危機、階級制度の矛盾、経済危機、啓蒙思想等などいろいろ言われていますが、フランス革命は浅間山が噴火したため、作物が出来なく、飢えに苦しんだ国民が原因という見方は私のうがった見方でしょうか。
あなたはどう見ますか?
【追記】
王妃マリー・アントワネット(1755~93)は今年で生誕258周年です。
宝塚歌劇団で記念公演があるそうです。
「ベルサイユのバラ」といえば、宝塚歌劇団の十八番でしたね。
きよしこの夜(Stille Nacht)の村
サルツブルクからローカル電車に乗りドイツとの国境を接する村"オーベルンドルフ"という小さな村があります。車だと北に向けて約20分位の距離です。人口はナント5600人あまり。ここは「きよしこの夜」の音楽発生に地として有名で毎年クリスマスの時期には世界中の人々が集まり人口以上の観光客が押し寄せ、小さな村がパンク状態になるそうです。もちろん日本人観光客も大挙して押しかけ「きよしこの夜」を堪能して帰ります。
「きよしこの夜」が生まれたのは、1818年のクリスマスイブだった。教会のオルガンが壊れてしまい、村(当時)の聖ニコラス教会の助任司祭ヨーゼフ・モーアが、自作の詩を近隣の村の小学校教師で教会のオルガン奏者でもあったフランツ・グルーバーに手渡して、ギター伴奏の二重唱曲を依頼、夜のミサで2人が初演したのがはじまりです。
サルツァッハ川の氾濫で、当時の教会は有りませんが「きよしこの夜」の音楽を記念して小さなチャペルが建っています。今でもクリスマスには世界中の人が集まって歌われる「きよしこの夜」を聞くことは最高でしょうね。
なぜこの時期にクリスマスの話題ですって?今からオーベルンドルフへの計画をされては如何ですか?今年のクリスマスは"オーベルンドルフ"で過ごすというのは如何でしょうか。
武器庫 グラーツ
グラーツには世界最大の武器庫があります。世界最大といってもミサイルや核があるわけではなく、中世からの武器が所狭しと3万2000点以上あります。
この武器庫はオスマントルコの襲撃の備えて、1643年から1645年にかけてアントニオ・ソラールによって建てられました。16・17世紀の武器が充実しており今でも使用可能なものばかり、(すべて本物です)固定されていますが直接触れる(触ってはイケマセン?)ものばかりで鉄器の冷たさには畏怖を覚えます。
ここは博物館ではないので2階~5階にあがるにつけ各階に小銃、短銃、大砲、槍、サーベル、短剣、鎧(装甲)、兜、盾、鎖帷子などが所狭しといっぱい。展示用ではなく単に置かれています。そうなんです、倉庫なんです。よく見ると剣で討たれたのか凹んだ鎧・兜、日本刀ほどの鋭利ではありませんが、この重たい剣で打ち込まれたら即死でしょうね。鎧・兜を着用すると約30キロ以上、剣・盾も10キロ以上、昔の人はこんなにしてまで戦いに挑んだんですね。
開館時間:火曜~日曜 10:00~18:00, 木曜 10:00~20:00
Harrengasse 16
【URL】 http://www.zeughaus.at/
モーツァルト・生家
サルツブルクのゲトライデガッセ(Getreidegasse 9)1747 年から 1773 年まで住んでいました。今は彼の生まれた家が1880 年 6 月 15 日に、国際モーツァルト財団がモーツァルトの生家 (Getreidegasse 9 番地) に初めて博物館を設立し、沢山の観光客が訪れています。
モーツァルト家に関する資料や写真と W.A. モーツァルトの使った楽器が展示されています。特に有名な展示品は、モーツァルトが使用していた子供用バイオリン、コンサート用バイオリン、ピアノ、モーツァルト家の肖像画と書簡です。モーツァルトの生家の 1 階には、国際モーツァルト財団によって「モーツァルト」という特別展示が 1981 年から年ごとに違ったテーマで行われています。生家の 2 階は「劇場のモーツァルト作品」がテーマになっています。多数のジオラマ (ミニチュア版) では、モーツァルト・オペラの受容史が表現されています。18 世紀後半から 20 世紀までの舞台模型では、作品の多様な解釈形態が示されています。
Getreidegasse 9
電話++43 / (0)662 / 84 43 13
fax ++43 / (0)662 / 84 06 93
archiv@mozarteum.at
ウィーンに住んでいたときの家
◆モーツァルト・ハウス Mozart Haus
1784~1787年までを過ごした、ウィーンに現存する唯一のモーツァルトの住居。ここでオペラ「フィガロの結婚」を作曲したことからフィガロハウスと呼ばれてきたが、生誕250周年に向けて大改装を行い、モーツァルト・ハウスとして2006年に生まれ変わりました
サンクト・アントン
オーストリアのスキーメッカ、アールベルクは4つのスキー場から構成されるが、その中の一つに「サンクト・アントン」の町がある。インスブルックの町からサルツブルクに向かってアウトバーンで車を走らせて
僅か1時間位の距離にあります。海外スキーを経験された方は第一候補に上げるのがここ、「サンクト・アントン」でチロル最高級のゲレンデがあり、世界中のスキーヤーが集まってきます。
私も40年程前にここのゲレンデで滑りましたがプロコースのゲレンデ(間違って入ってしまった(^0^ ))はほとんど誰もいない位、ワンマンゲレンデであったのを記憶しています。
もう直ぐスキーのシーズンになりますが円高の影響で海外スキーも少しは楽になったかもしれません。でもまた円安になった。でも行くぞ。
冬の海外旅行は「サンクト・アントン」へどうぞ。そうそう、サンクト・アントンは、長野県の野沢温泉村と姉妹都市を結んでいます。
ザンクト・アントンの海外旅行基本情報
チロル市観光局
http://www.tirol-info.jp/
サンクト・アントンのホームページ(独・英)
http://www.abbag.com/sommer/home/





























